思いのある誰もが動き出せる社会を目指す「エンパブリック」の広石拓司さんに、ソイラテメンバーの横山たちが話を聞きました。
メインインタビュアー・横山宗助
編集・狩野哲也

福祉の人は困っている人を助けてあげたい気持ちが強い
ソイラテ横山「私はこの7年間で少しは地域のことがわかったつもりでいるのですが、結局地域を変えられるところまでは全然到達できてないと感じます。その原因として自分も所属している中間支援のレベルの低さを感じているんです。うまくいかないのは中間支援が原因だとか思ってるんですが、広石さんはどう思われますか?」 広石さん「いくつか理由はあって、ひとつは多くの場合が中間支援的なことは市民活動とか地域社会の支援、中間支援の役割は、大阪のボランティアセンター、ボランティアコーディネーターから始まっています。割と困っている人とボランティアしたい人を結びつければ良くて、ある程度ニーズがはっきりしていたわけです。そういう意味でもNPO支援とかもニーズがはっきりしてるとわかりやすい。
僕が今ひとつやっていることで言えば地域包括ケアシステムっていうのをやっています。東京ホームタウンプロジェクトの地域づくりの部分を今やってるんです。

そこは日本中で課題で、地域包括ケアシステムって何が難しいかというと福祉をやってる人は困っている人を助けてあげたい気持ちが強いわけです。でも住民主体と住民活動、地域参加というのは、そんなにはっきりしたニーズはなくて、ゴミ拾いと言われたら手伝うけれどぐらいで、すごく困ってなかったりするんです。
だから例えば介護の仕事をすると要介護5とか大変な人のほうがやりがいをもてるじゃないですか。医療もそうで、やっぱり医学部行くなら心臓外科とかすごい手術して直してあげたくてお医者さんになるわけで、元気なおばあちゃんの話し相手になるのは面倒というか、現役を引退した人の仕事のような感じで。だから、どっちかというと福祉の人とか思いのはある人は、大変な人の方に目がいく。でその人たちは助けを求めているから、やりがいがすごくある。
でも実はヘルスプロモーションと言って、医療も早い段階で対応できてもいいし、介護とかもなるべく軽い人に対応した方が良い。でもそこは関心が持ちにくい。特に福祉的な人、社会に役立ちたいと思う人。それこそエッジに出ると『原体験は?』と聞かれます。『外国人の役に立ちたい』とか『悲惨さを見ました』とか『震災を体験しました』とかどこかでそういうふうに福祉、社会課題というと重い方に目がむきやすい。
でも、軽いところから始まっても良い。逆に今のコロナの話だと難しいのは、別にかかったって重くならないかもしれない。だから経済を優先したりする。もしバタバタ人が死ぬならもっと必死になる。なんか軽いものって大したことないよねみたいなと思いがち。実はその方が人数が多い。
まちづくりは普通の人が参加しづらい
まちづくりといえば、すごい困ってる人とか、障がい者とのインクルージョンみたいな話をするんだけど、普通の人や高齢者がなかなかまちづくりに参加しにくい。大企業のサラリーマンを定年した人とか迷ってる人は参加しにくい。でも、実はそういう人がどう関われるかのプロセスの設計、デザインがすごく大事と思います。
今までは、福祉とか社会問題とかに関心ある人が、どうしても、今までの主体だったので重い方に目がいきがちだった。
そして震災の時とかそうだけど、現場を体験しないとわからないとか言うわけ。3.11の時、東北に行って帰ってきたら『あれは見ないとわからない』とかいうわけ。でもなんかそこで、差ができるよね。『お前、見てないなら何も言うな』って空気で何も言えなくなっちゃう。だから大変なところで頑張ってる人が故に、ちょっと差が出ちゃう。
社会問題に関わると急に周りが意識が低いと言い出す。環境問題とか自分の意識が勝手に上がっているだけで、お前だってちょっと前ではそうだったでしょと言いたい。
そうすると相対的に周りが低く見える。この間まで普通につるんでいた仲間が突然、『フードロスをどう考えてるわけ?』とか言い出す。うざいじゃん。そうやって溝が出てくるのが問題。

課題に気づいた人、頑張ってる人、大変な現場をみた人は尊いし、大事なことをしているけれど、でもなんかそれと同時にたくさんの普通の人がいっぱいて、普通の人が実は潜在的にいろいろな可能性を持ってたりとか、いろんな課題を抱えたりとかするわけですね。
だからその潜在的なニーズとか潜在的な意欲とか潜在的なところっていうふうにどれだけ関心を向けているか。どうしても、でもそれが大変な状況には見えないのでそこまで手が回らないよね。何か一つかそこが課題でもある。それだと中間支援の場合は、田村太郎さんがよく言っているが、日本はその意識高い系の中でも、さらに意識が高いのが中間とよく言ってる。
どっちかと現場より、なんかこうそういう概念とかソーシャルインパクトとかインパクト評価とか考えたりしたわけさ。一生懸命、子どもの世話をしている人に対してインパクトとか考えてないからダメなんだとかいうわけ。
意識が高い人は現場をパスしがち
中間支援的な人はすごく多い。そう言った意味では、特に意識の高い人は現場をパスして、中間支援的なところに行く人が多い。それは一つの課題で、中間支援の人と現場や一般市民とも意識が開いていく。
そこに微妙な分断が生まれる。だから、中間支援はもっと現場の中まで入ってほしい。指導するんじゃない。一緒に汗をかく人であるべき。中間なんだから。走り回って走り回ってやるべき。一緒にプログラムを考えるべき。ちょっと上からになっている。
中間支援と一般社会もそういう感じですが、そこは実はすごく課題がある。そこに対する関心やその予防的な活動に対する関心が大事。」
知らないことに対してどれぐらいポジティブかが大事
ソイラテ菊池「中間支援をされている方で広石さんのように先端を言っている方とそうでない方の違いはなんなんでしょうか? 現場の数ですかね?」
広石さん「たぶん僕がというわけではなくて、一般的に言うと『知らないことに対してどれくらいポジティブか』が大事だと思います。
例えば企業で研修というと未熟な人が受けるものというイメージがある。会社で20年働いているから営業研修なんて受けなくていいと考える人もいる。
でも今の時代はSNSなどが広がって営業の仕方も随分変わっているはずです。直営店で売るとかAmazonで売るのは全然違う世界の話なので、学び続けるってすごく大事。状況はどんどん変化する。
でも一方で年齢を重ねると自分が蓄積してきたものがあるから、それはそれで大事にしたいわけ。
大学で10年ぐらい教えてますけど、やっぱり学生も変わってくるし、教えられることもいっぱいあります。聞いた話ですが、先生がドンドン年下になっていく人がいいんですよ。若い時は例えば30代だったらから50代60代が先生役なわけ。逆に50代とかになると、20〜30代が先生になる。今の若い子が全然違う発想でソーシャルビジネスをやってたりとか。そうすると先生の年代が下がっていくんですよね。
実は世界中の課題は分断を生んでいる
意識のギャップは世界中の課題で、例えばトランプ支持者もそうで。例えばLGBTとかその背景についてしっかりわかってないとバカにされて、意識が低いと言われるわけです。そんなことに傷ついた人たちがトランプ支持に回るんです。トランプはそんなことはどうでも良いと口にしているから。
だからアメリカのグローバル化とか難しいことを言う中で、トランプが『アメリカサイコー!』とわかりやすく言ってくれたら、なんかややこしく考えなくていいやとなる。実はそれは世界中の課題で。意識高い人が「私たちは正義」とすることが実はすごく分断を生んでいる。それはどっちが悪いじゃない。

だからなんかそこを実は日本社会でも明確にすれば良いかも。意識高い系の嫌なところは『ちょっと俺たちは違う』というところが嫌。ちょっと『普通の会社員ですいません』という気持ちになる。勝手にそう思ってしまう。誰もが悪くないのに、どちらも自然にやってるんだけど、ちょっとすれ違ってしまう。だからそれが今の日本の課題だなと。」
ソイラテ横山「思い当たるところがたくさんあります。福祉出身の人が中間支援をやってしまっているという話もすごく納得です。僕らもソーシャルインパクトという単語を最近よく使っていることもすごく反省です。」
広石さん「そういう概念は理解することはすごく大事。社会起業家になる人によく言うんだけど、『わかってもらえない』ってよく言うけど、『わかってもらおうと思うな』と思う。『世の中のスタンダードから考えると変なんだ』と思っておけば、ストレスも感じなくなるし、自分は変だと自覚すべき。
例えば、スタートレックの話だとわかってもらえなくても普通なのに、地域包括ケア、気候変動の話がわかってもらえないと悩む。スタートレックの話も、気候変動の話も一緒だよね。
でもこれは一方で『社会が進んでいる』とも言えます。動きだしている人がたくさんいるから、ある程度メジャーになってきてるから、なんかちょっと社会起業家が堂々としてきている。
例えば、昔『NPOで働いてます』とか言うと、わかってもらえなかった。結婚退職、出産退職というのがあったけれど、相手の親に『NPOで働いてます』とかいうと、絶対ダメだった。ほとんどホームレス扱い。 今は生じっかNPOで働いて、結婚もできるだから分断が生まれている。今は移行期の罠だと思う。
キャリアチェンジなどが当たり前になると、分断は生まれない。全く理解できない訳じゃない。昔だったら、パナソニックを辞めてNPOで働くならこの世の終わりだった。でも今はそこまでじゃない。
それぐらいの変化に来ているので常識と常識のぶつかり合いだった。昔は、NPOをやってると変だとわかった。自分が変だと自覚しやすかった。しかもFacebookを見たら自分の周りがみんなそうだから、私なんてまだまだダメだと思い続けさせられる。そういう世界がある意味進んでいるとも言える。理解が広がっている。でも実際の動いている人と動いてない人での微妙な差が開いている。」
20年前と今では課題感が違ってきている
広石さん「だから多分20年前と今では課題感が違ってきてる。昔はまちづくりは、市民の中でも意識の高い人が集まってやっていれば良かった。今は、多くの人が関わらないといけなくなってきてるので、より難しくなってきている。」
ソイラテ横山「僕は直の仕事なんで納得のお話です。」
ソイラテ菊池「知らず知らずに意識が高くなると、そこの活動効率のために同じ人を集めてしまって、普通の人の関わりしろを残さない方が合理的なので、寄付者、会員者もより活動を発展することを望むので関わりしろがどんどんなくなっていくと思いました。そこを非効率でもつくっていく努力と、非効率だけど関わりシロをつくろうとする努力のバランスが面白いと思いました。」
個別最適が進み、夢が語れなくなった
広石さん「あの僕が言ってるのはその市民社会とかね。先ほど参加型の社会になってると言うのは考えてみると、ちょっと上手な人がいっぱいいる状況なわけ。でもNPOになるとプロにならなきゃ、ちゃんと稼げないといけないと思う。 今、サッカーって実は競技人口はそんな広がってない。僕が子どもの時は中学生くらいで『将来の夢は巨人で四番』と呑気に言えたわけです。でも今の小学校6年生で『夢はJリーガーです』というと、『じゃあキミはどこのジュニアの所属クラブですか?』と言われるわけさ。それがないとJリーグに入れるわけないじゃんと言われる。
逆にシステムが整いすぎているがために、草サッカーとか入りこむ余地がなくなってきているんです。だから高校サッカーがプロみたいな世界になってきているから、甲子園だって大阪で生まれたとしても、日本中の学校に入学して県の代表として甲子園で戦うみたいになっているじゃないですか。
実はそれだと広がらない。本当は草サッカーとか広げていかないといけないんだけど、むしろ今は公園でもそういうことができないし、道端でもサッカーできない。ちゃんとコートのあるところでしなさいと言われる。そうやって、社会が整っていくと、実は個別最適が生まれてくるわけ。そうすると広く薄くができにくくなってくる。
だから福祉とか、もう本当はみんながちょっとずつ、福祉マインドを持って、ちょっと上手な人ぐらいが関われていけば良いんだけど。

なんか例えばファシリテーションを僕も教えてるけどファシリテーターは自分が食べて行きたいから、『やっぱり自分はファシリテーターでちゃんと研修を受けてるし、ちゃんとこうトレーニングもしてるので、みなさんと違います』とPRしないといけない。
だから街中でちょっと上手になってても、『私はそれとは違う、ルールとか設定しているし』となってしまっている。でも一番効率的なのは、みんながちょっとずつできることだと思う。
ちょっとずつできる人が増える状況が大事
そんでも逆にてみんながちょっとずつできると、そこに上手な人は当然いるわけ。だからそういう構図が大事で子育ての問題とかもそうだよね。だかみんながちょっとずつ子育てに関わってて、ちょっとずつみんながいろんなことができて、NPOはプロフェッショナルな問題にも難しい問題にも対応ができるし、なんとなくをいろいろな家での生活的なプログラムを生み出す感じが良い。
だから裾野のひろがりへの関心が大事。今までの日本社会はNPOなんかが自分がこうやっていかなきゃというのがすごく強かったから、裾野に関心がいかなかったと思う。
まちづくりとか市民参加とか、横山くんが考えているのは何がゴールなのかを考える必要があって、それはすごくNPOが大きくなることなのか、普通の保育園で普通で子育てすることなのか、おばあちゃんたちがやっているようなことなのかもしれない。
もう一度市民社会とか市民が活躍しているゴールイメージをみんなで議論することはすごく大切なことだと思う。」
ソイラテ横山「先ほど菊池が説明していた、自分たちだけでやってると話しが早いでっていうのもすごく理解ができるんです。市役所の会議に行くと、広く一般市民、商工会の人も来ていれば自治会の人もいて広く一般の人がいると進まないことがあります。
自治会のおっちゃんとかが全然議題と関係ないようなことを『いい機会やから言わしてもらうけど』と語り出す。そうすると、この人たちと一緒にやってると、いつまで経ってもまちづくりは進まへんわと思っちゃう。で僕らの facebook のタイムライン上がってくる意識高い系の人だけで話すと『だよねーーそうだよねーー』って気持ち良くなっちゃうんです。」
広石さん「で今の話を聞いて見えた気がします。なんかやっぱりさっきのゴール設定を、という話を聞くと、あの自治会のおっちゃんと話を繰り広げていく自信がない。でも、今の横山くんの言葉にヒントがあって、『ええ機会やから言わせてもらうけどな』の部分。つまり普段おっちゃんたちはしゃべれていない。
横山くんが出ている会議は決まっているアジェンダがあるけど、みんなそこに来てる時点で何をするかは理解はしているけど、その前に言っておかなくてはいけないことがいっぱい溜まっている。
今回を良い機会にするからきつい。みんなの中で溜まっている傷がある。ずっと私たちがやってきたことがわかってもらえなかったと思っている。SDGSの講演でも、どれだけ頑張ったかを言いたい。なんか急に企業がやってきて『考えてますけど』と言われても。
実はすごく大きなポイントで『グローバル化も大事だね』『気候変動も大事』とみんな多かれ少なかれ思っている。でも社会が進んでくれば分断が生まれる。『肉食がどれだけメタンを排出してるかわかってるのか』と言われる。『すいません』って気持ちになってちょっと嫌な思いをする。」
ええ機会をつくらなければいけなかった
広石さん「みんな社会や地域のことで嫌な思い出がたまって、それがあちこちで渦巻いてるわけ。『ええ機会やから言わせてもらうけど』ってのは実は鍵で、ええ機会をもっとつくらないといかんかったんだろう。そうすると、多分コミュニケーションは成立すると思う。 震災後にファシリテーターがきて『福島の未来を語ろう』的なイベントがうまく行かなかったと聞きました。それはそうだろう。震災から1、2年しか経っていないから。
未来とか語らないで、まず1時間はどんだけ大変だったかという話をした方が良かった。そのあとで福島の未来を語ろうと言われたら、そのモードになれるわけ。ちょっと自分の中で溜まってたものが吐き出せて、新しいことをインプットできるだけの隙間が頭にできる。そこがすごく実は大切で、コミュニケーションをもっと増やすっていうことがすごく大切なポイントです。
例えばワークショップとかでたくさんしゃべる人は普段からしゃべりきってないんです。自分の意見を強く言う人は思いがあって、いろいろ考えているんだけど、普段あまりしゃべってないんですよ。だからそういう現場に来るといっぱいしゃべりたくなっちゃう。一つの場では解決できないわけ。だからシステミックにそんな場をどんどんつくっていかないとだめ。」
ソイラテ砂川「でもみんなの時間は有限で、行政はこの時間は話し合いしてるけども、もっと話したい人は、いっぱいいる。現実的な解として、自治会単位で話を聞くというのはありかもしれない。そうする主体は誰になるんでしょう?」
広石さん「そうやね、住民の人が自分たちで話し合う機会をたくさんつくっていく必要があると思うなあ。」
長野県のある町にイオンがやってきた話
広石さん「今日ちょうど、長野県のイベントの打ち合わせをしてて、面白かったよ。イオンがくるから町は困るみたいな感じになって、さてどうしようとなって、でも行政はめっちゃイオン側についてて(笑)、商店街は取り残されたから自分たちで講座とかして一生懸命まちのことを調べたりしていて。今度行政やイオンに言いに行ったら、意外とイオンもちゃんと話を聞いてくれて、コミュニケーションすると『今度みんなでイオンに行きましょう』とか言って、なんかすごい変わってるじゃないですか。
だから最初は分断してて、イオンができて、『あーなんかまた行政やってるわ』と言って黙っちゃうわけ。そうするとできてから何かと文句を言う。そこを早い段階で、『イオンができたらどうする?』としたことで、みんなでしゃべろうということができたわけよ。公民館が中心になって話せたそうです。
市役所の時間は有限だし、全部は聞けないので、逆に街の中にあちこちに、話す機会をつくっておくということがすごく大事なわけ。場をつくれる人をたくさん増やすのが重要。」

ソイラテ砂川「その時、時間軸がすごくズレると思います。50年先を見ている人はイオンが良い(逆では?)。短期的に5年スパンで考えている人は、子育てが楽になった方が良いと思っちゃう。そこのファシリテートをいかにするのか。」
広石さん「そこはさっき言ったみたいに違うということを前提にする。つまり一つのまとめた答えを出すことをゴールにしない。だからまず相互理解をしよう。だから対話は、そういった意味では逆に言うと、市民の人たち全体にリテラシー、マインドセットを成熟させていく必要はあると思っていて。 そういった意味では議論して答えを出すことだけが大事だと思いがち。答えのない会議が意味がないと思いがち。会議はそうなんだけど、対話はそうじゃないんですよ。
対話はお互いが相手の話をちゃんと聞き、自分と考えが一緒の人もいるし、違う人も当然いるけど、なんでその人はそういうふうに考えるのかを聞く機会にする。自分とあの人は全然違う、自分が良いと思っても反対する。なんであの人はそういう風に言うのかな? その背景を理解するということが、この時間を使って欲しいんです、というふうに、上手なファシリテーターが場をセットする必要がある。

自分たちの考えをまとめて、持って行って、相手に自分たちの話を聞いてもらったら、今度は逆に、相手側のイオンの話を聞いたら、実はめっちゃ地域のことを考えていた。 ついついわれわれは、コミュニケーションしないでぐっと抱え込んでしまう。そうじゃなくって、逆に反対反対と言ったり。そのどっちかなわけ。抱え込んで黙るか、政権がおかしい、言ってもしょうがないから黙っておけか、2つの道しかないと思っている。そして、デモとかしちゃう。官邸の前で『やめろやめろ』とか言っちゃう。でもなんか違うなと思う人も多かったりする。
そういう対話をしていくことについて、実はみんなが慣れていない。僕が企業へ行ってワークショップとかすると、やっぱり対話になれている企業と対話に慣れていない企業がある。いくら良い会社でも、一発で良い場をつくるのはすごく難しい。」
ソイラテ砂川「聞く人がなかなかいないですよね。言うことはできても。」
広石さん「そうそう。だから何回かそういうことをやっていくうちに、みんながわかってくると、人の話をちゃんと聞いたら面白いじゃんって雰囲気が地域の中でもなんとなく出てくるわけ。そうすると割と対話というものが地域の中に根づいてて広がっていく。
ただ、対話って一般的じゃないなから、文化を変換しなくっちゃいけないよね。まずは、会社、地域に対話の文化がないから、いきなり対話しましょうと言ってもダメ。例えば街の中でも会社の中でも、ちゃんとした書類をつくれと言われてるのに話し合いましょうと言うと『お前何言ってるんだ?』となるんで。
例えば会議をやってうまくいかない時は、逆にちょっと遠回りに見えるけど否定しないで1時間くらいそれぞれに意見を言ってみよう。それぞれの考え方を一回しゃべってみようよといって、みんな誤解するとかあるかもしれないので、そういう時間をとろうとやってみて、1時間ぐらいしゃべってみたりすると、意外といろんなことがスムーズにいったりするわけ。
遠回りをしないようにしてることによって、あとでいろんなトラブルが起きて、余計めんどくさくなったりすることもある。逆にちょっと時間をかけて、しっかり話し合うステップを踏むと、実はスムーズにいくかもしれない。
さきほどのイオンに戻ると、そのまちは一生懸命に話し合ったから実際にイオンがオープンしてからは画期的にクレームが出ない。 普通みんなはそんな話をしないで、住民はなんなく納得していますから、みたいな役所の話を聞いて進んでいくと始まってからは何かにつけ、なんだかんだと言われたりするんだけど、すごく話し合ったら、逆にまちの人みんなが協力的でびっくりしている。どっちが効率的なのか。 それこそ今のコロナの話も『とりあえず経済をはやくしない』とじゃなくて、もっと抑えてから経済を再開したほうがうまくいくのかもしれない。それはどっちが正しいかはわからない。わからないんだけどその生き方が早く進めるって言うことだけじゃないルートもいつも選択肢として持っている方が良い。
そんなことも社会づくり、特に住民参加型の地域づくりでは、そっちのほうのルートをもっと実は持つべき。解決策を考え、みんなね、まちづくりとかよくまあ例で言うのが地域のファシリ講座で『地域の課題出してみましょう』と言ってそれを10個ぐらいにまとめるわけ。 まとめた中で、『どの問題を残りの時間を使って話し合いたいですか?』と言ってやってもらうと、大体みんなコレって決める。その時に『なんでそれなんですか?』と聞いたら『その2時間ぐらいで答えが出そうだから』と言う。」
ソイラテ砂川「なるほどです。」
解ける問題を解く習慣がある
広石さん「で、さっきまで大事な時間はこっちだって言ってませんでした? 村だったら若者が出て行く問題とか、解決策を求められると祭りの人数をどう増やすかとかを選んでしまう。『いやいや、まずは若者の問題を解決しないと祭りの問題が解決しないじゃないですか』と思うんだけど、こっちの話は難しい話だから話をしたってキリがないから。とりあえず、答えが出そうなやつを話した方がいんだよと言って地域の人、会社の人、企業であっても同じことだいたい答えが出そうな問題を解こうとする。
それは僕らは受験勉強のときに『解ける問題から解答しろ』と習ってきてる。難しいものは捨てろって。だから解ける問題を解く習慣がある。でも一度、難しい問題をちゃんと話し合ってみて、ということが実はトータルな理解を深める。
解決策を出すことよりも、その前に問題の理解をちょっと時間をとるだけで実はいろんな問題が同時解決的に解決できるようなことがあるかもしれない。10個の問題で。
とりあえず一番簡単そうな問題からやるから、いつまで経っても結果的に3つくらいの問題が解決できても、残りの7つくらいの問題がうごめいている。うまくいかない。でも実はもっと本質的な問題を話すともっと5,6個解決することがあるかもしれない。
解決策を急ぎすぎる傾向は、そうすればもっと関係性をつくるとか、もっと問題の理解を深めるとか、その理解を深めたことをみんなで共有するとか、そういうステップなしで先に行こうとしてませんかっていうのがなんかすごく大切。」
ソイラテ砂川「地域の人は簡単な解決策とか見えるところに飛びつきがちというお話はすごくわかって、本当は本質的なところを向き合うべきだというのもわかって、とはいえ、みんなやった感というか、成果が見えるとか、達成感がみたいところがあって。
さっきの予防の話と一緒で、付き合わないと行けない問題って、みんなが価値を見出せないというか。構図的にはいっしょなのかなと思うんですが、そこに対してどうしたらいいのでしょうか?」
広石さん「わかるわかる、そうだよね。ひとつは『行き着く先のゴールを遠くに置く』というのがすごく大事。例えばNPOで活動してます。年間1000万円の予算です。ところが、それを1500、2000万にすることを考えるときと、3億円くらいの団体にしないと助けたい人を助けれないよねってときだと、発想が違う。
遠い方が大変そうに見えるけど、逆に3億円目指すと考えると、なんか吹っ切れるところもあるじゃん。そこに向かって進んでいるかどうかに目が行きやすくなるわけ。それは評価の仕方の違いになるわけ。 つまりそれはその先の、1000万を1500万にするときの評価って、確実に50、100万稼ぐことが評価になる。でも3億円に向かって進んでいくときって、どれだけ自分たちの将来基盤が大きくなるような基盤をつくれたかとか、どれだけ準備ができたかとか、そういったところがより重要になってくる。
だからそこが今実はすごくサスティナビリティとかESG投資って話でいうと、ESG投資っていうのは結局2030年、40年とかに向かって企業が考えていれば、別に目の前で多少利益が出なくたっていいじゃんみたいなところがあるわけ。むしろそっちに向かって準備を始めてますみたいな方がなんかいいよねって考え方があったりする。
けれども逆に言うと、その短期的な方って数字さえ出してればいいからめっちゃわかりやすいわけ。社会的インパクトとかにも繋がるんじゃないかと思う。でも実は社会的インパクトってことで遠くのものを見てやっていくと、実はプロセス自体の意味をすごく考え始める。
逆に言うと大きな絵を描いて、そこに必要なものってイメージをもって目の前の現場をやり始める。だから評価軸とか評価の基準が変わってくると思います。
だからそこが成果が見えにくいとか、みんなそういう風に言うんだけど、遠くのビジョンをしっかり持てば、そこへの成果ということで、違う成果が出てることに腹を括れて、そんなに慌てなく、動じなくなる。そういう評価をしようというふうに、だから実は評価も変わるわけ。だからそこはすごく大事。」
ソイラテ砂川「そこを関係者でそれで、正しいよねっていう同意というか、そこが難しいそうですね。」
広石さん「そこのだからそこを気合入れてやることはすごく大事で。」
評価自体が目的じゃない(ユニリーバの例)
広石さん「ユニリーバという会社があります。サスティナビリティをすごくやっているのですが、ユニリーバって2009年が一番どん底なんです。石鹸とかシャンプーとか売っている会社だから、コモディティだからすごく価格競争して、必死に売り上げを5%伸ばせってやっていたわけ。ますます会社が痛んでいった背景があります。
そこでCEOが『一回待て』と。石鹸を本当に売りたいのかと。ユニリーバーって衛生状態が悪い時に石鹸をつくって清潔さを当たり前にすることが創業の時の志なんだと社史を読むと出てきた。 これを今の時代に置き換えてみたら、サスティナビリティを暮らしの当たり前とかに当たるんじゃないか。だとしたら急に来年から儲かるかどうかわからない。『10年間かけて、ユニリーバという会社をサスティナブルを当たり前にする会社にするんだ』と宣言するわけ。 宣言するだけじゃなくて、具体的に10年後から見たバックキャスティングした目標を設定するということをした。ただSDGsがいいねと宣伝するだけじゃなくて、ちゃんとバックジャスティングして目標を設定しました。そして株主に対して短期的利益を求める人は必要ないというわけ。株を売却してもらって良いと。 その代わり、じゃあ申し訳ないけど、今のままいっても来年絶対利益が出ないけど僕たちは10年後には2倍の売り上げになっている。利益率は上がっています。来年の利益が欲しい人は株を売ってください。僕たちと一緒に5年後にリターンがかえる道を選びたい株主は残ってください。
社員に対しても、今まではちょっとでも売り上げた人にボーナスが出たけど、そのやり方はいらない。『これからより高い評価をする社員は、10年後の目標にコミットしている人です』と決めた。
それは逆にいうと社員も株主も誰が一番大事なのかということを定義しなおしたことが大事なんです。今は社会っていろんな価値観があって、7割と3割っていう昔のマーケティング的感覚だったら7割を取る。多くのお客様を望んでるから。 でも今って3割の価値観の良い、コミットメントの高いお客さんを取るべきなのか、7割のすぐ価格だけで選んでいるお客さんを選ぶのかは選択をしないといけない時。そうしたらば、この株主に自分たちの味方になってほしい。この従業員にコミットして欲しいって言うようなことの基準というか判断軸を持っていかないといけない。今みたいに社会がどんどん変わっていく時代はまわりにすごく振り回されるんですよ。 みんなが言うことも変わってくるし、求めることがあるし、市場の状況も変わっていくんだけど、でもこの株主と従業員とお客さんは絶対自分の価値観を共有してて、いつでも絶対味方になってくれるというような、そういう事業をやる人は強い。だから社会的インパクトみたいな話とかも、そういうふうに使って欲しいわけ。
何か評価自体が目的じゃない。インパクト評価も大事なんだけど、評価が大事なんじゃなくって、そうやって使うことが大事。

こういうインパクトを出します。こういうアウトカムを出します。そのためにこういう活動するんですと、ちゃんとコミュニケーションすれば、いい寄付者がつくし、いいスタッフが残るし、いい理事が残るんです。『その考えに対して文句いう人はやめてもらってもよいです』というスタンスで。逆に言うと組織をリフレッシュするっていうことにがすごく大事になる。だからそこが、関わりづくりに対して、どう協力者を増やすかってことがすごく大事。
実はそれが本題であるはずの、社会的インパクトみたいなものの考え方がなんで大事かというと、誰が大事なステークホルダーなのかっていうことを、自分たちが自覚するために必要。 そしてそれを共有するため。それはスタッフでも、いまいち共有できていないかもしれない。『その先を目指しているんだよね』って言われてもどうしても現場で活動してたら、今の目の前の人とか、今の寄付者とか今のスポンサーの声にすごく引っ張られるじゃないですか。
『でもそこに引っ張られていいんだっけ?』みたいな、そういったところが逆に問われている時代の変わり目でもあるしさ。だからそういうコミュニケーションもすごく大事。コミュニケーションの問題だと思う。
だからいくら緻密な社会的インパクト評価をしたってコミュニケーションがなかったら意味がない。つまりその数字さえだしてれば、とかESGスコアみたいなのが高ければっていうことじゃない。
その会社がすごくコミュニケーションをとって、ここに共感する人がすごく大事って熱く語れてみたいなことがないと結局ふーんってなってしまう。ただの数字だからね。 だからこういう話の時はすごく大事で、ぐるっと回ると中間支援の人はもっとそのプレイヤーの人たちが熱く元気に語れるような社会的インパクトを考えたから客観的にがんばりますとかも大事だけど、社会的インパクトを考えた時に、やることで『そーじゃん』『これだよ』みたいなこれを伝えたいんだみたいな感じになって、企業にいったって、どこにいったって、みなさんこれを実現のためにやってるいるんですよと、となる。
そして『今はここを整理してるんですよ』と言い切れば信頼が広がるじゃない。それが去年予算が1000万でしたが今年なんとか1100万目指しますより、なんかそんなこという団体よりは、こう言うことやるためにこういう準備をしてて、将来5億とかの予算になって、それは予算が大事なんじゃなくって、こう言うインパクトを目指すには、当然5億くらい必要って言ってくれる人に寄付したいか、どっちに寄付をしたいかって話。だからそこがすごく大事な。
だから、ある種そういうストーリーテリングみたいなものを含めた、もととしての社会的インパクトってことじゃないと、何かつい、社会的インパクトって言うと数字を出すみたいな、なんかそう言う概念が好きな人が、そっちに行きがちなんだけど。どう使うのかというところを、もっとみんな考えてほしいなと本題の話を絡めると僕はすごく思う。」
地域活性化は現状のことしか話していない
ソイラテ砂川「その話を地域とからめて考えると、今私はとある自治体を支援しているんですけども、首長のビジョンが自治会長さんや住民に伝わっていない現状があります」
広石さん「そうそう、そういうところでね、逆にいうと、コミュニケーションをどれだけ増やすのかって、よく言っているのは、現状の裏返しが目標にならないってのがすごく大事。よく言うんですけど地域活性化ってのは現状しか語っていないわけ。『地域に元気がないから地域を活性化したいです』っとしか言ってない。未来のことをあんまり喋っていない。
例えば貧困のない世界がそうなのよ。今、貧困があるから『貧困をなくしたいです』としか言ってなくて、『じゃあ貧困がなくなった世界ってどんな世界?』『じゃあみんなアメリカ人みたいに暮らしをすれば貧困がない?』『貧困がなくなったって言える時ってどんな時なんですか?』って何か良いイメージがいるわけ。
今は市民参加が弱いから、市民参加したいって言うのはそれは現場の裏返しか言ってないわけ。多くのまちづくりが現状の裏返しでしかない。総論の賛成は現状の裏返しを言うと全員が賛成するから。
みんなが組織改革しないといけないというと、『そうだ、そうだ』って言うんだけど、『というわけで理事の方、給料を半分にしますね(笑)』、そういうわけじゃなくて、いま変えなきゃいけないということは同意するんだけど、『じゃあどうすればいいんだっけ』とか、具体的な未来図を描くことがすごく大事で、それをステークホルダーで共有すると、そこに向かって人々の力が結集できるわけ。さっきのユニリーバの話もそうで。 そうすれば、いい株主も集まり、そして一番変わるのは会社に入ってくる人の質が変わるわけ。だから、スタッフも変わりし、お客さんも変わる、株主も変わる。そうした結果いい会社になる。
地域も一緒で、ただ今のままの地域の今のままのロジックを別にサポートする必要がないわけ。まちづくりでよく言うのは、地域で今まで一生懸命やってきてる人もいるわけです。そう人を無視をしてはいけない。苦労してやってきてるのよ。みんな苦労してやってきた、みんないろいろ傷つきながらやってきてる。
それで若い子がアイデアを言うと『それは俺が10年前考えてた』とか言うわけよ。それがうまくいかなかったということをとうとうと説明するわけ。 今までやってきた人に対するリスペクトはすごく大事。でもリスペクトをするということと、その人の言うことを聞くは違うの。リスペクトしてその人の話をちゃんと聴きながら、ですよねって共感しながら、でもそれを踏まえて僕たちは次にこういうことをしたいんですっていうことを言っていかないと。
よくやりがちなのは『今までのやり方じゃダメだから、こっちにしないとダメです』という言い方をすると、それだと否定しちゃうから合意形成がしづらくなる。
『みなさんもやってきたことは本当にそのとおりです。でも、なんか時代が変わっちゃったから、ちょっとだけ、この辺を変えたほうがいいと思うんですよね。今の若い人のITとか入れた方がいいんですよね。LINEとか使わないと、みんな来てくれないんですよね』みたいな、そういう入れ込み方が必要で。」
ソイラテ砂川「めっちゃ共感します!!!」
広石さん「そういったコミュニケーションがすごく大切で、ちょっとした、ソーシャルインテリジェンスとかエモーションインテリジェンスとか。そういうこともあるわけ。
昔だったらリーダーって頭の良い人だったけど、まさにEQと言われるもの。新しいことをやるとみんな不安になるとかいうじゃん。心理的安全性が大事とかコンフォートゾーンが大事っていうけど本当に配慮が必要。
まちの人に対してやっぱり、その人にとってみてのずっとやってきた馴染みのやり方があるよね。それに対して新しいやり方を、しかも若い奴に急に言われて、今までの自分たちのことが否定されている。嫌な気分になるよね。
それがまさにエモーションインテリジェンスなわけ。『こういうことを言うと相手はどんな気持ちになるんだっけ?』っていう、『それが理屈なんだからそんなことはいいんです』みたいな。で、押し付ける人は今の時代リーダーシップを発揮できないと言われていて。
でもだからといって、今の人におもねって『その通りです』と言って『何も変える必要ないですよね』ってやっちゃうとまた変化が起きない。
そういう感情的なことに対して理解しながら、どう香りをつくっていくかみたいなインテリジェンスというか知性っていうか、考え方とかが、たぶん今の時代すごく大事になっていて。 それが今まではロジカルな説明だけして終わる。前に東京の自治体で保育園が足りないから公園を一部潰して保育園にするってわけ。それで住民公聴会をしますね。意見交換会をしますって言った時に、1時間で終わるはずが8時間やったのよ。もめて。 参加者の話を聞いてみたら、自治体職員が一番最初に『今日は意見交換会で皆さんの意見は聞くんだけど、基本的にここに保育園を立てることは決まってますから』って言ったらしいんです。」
一同「はははは」
広石さん「それで住民がカチンときた。それは子育ては大変だし、保育園が必要なのはわかるけど、最初から結論が決まってると言われると腹が立つよね。
だから、それは単純なコミュニケーション力というだけじゃなくてさ。さっきのエモーショナルインテリジェンスの世界なわけよ。そう言われたらカチンとくるよね。感情的になると協力したかったものを協力したくなくなるよねって、ある種の経験値かもしれないし学びかもしれないだけど。そういう部分が行政とかに大事だと思うわけよ。それが街づくりっていう視点でも大事だし。
あとだから、ソーシャルインパクトもなるべくニュートラルなもの、中立的なものに行きがちなんだけど、もっとエモーショナルなものなんだよ。アウトカムなんてストーリーでしかないないからね。
アウトカムなんて絶対正確に測れない。だってそれがその団体の要因かどうかなんてわからない。だからアウトカムなわけで。直接的に影響を与えてるのがアウトプットなわけでしょ。 例えば子ども食堂をやったから子どもが立ち直ったというときだって。子ども食堂だけで家庭が立ち直るなんて絶対にない。子ども食堂があって、そこで行政と知り合って、なんか自信がついてきて、その中でちょっとずつやっていこうってなってきて、そこにたまたま良い行政職員がいて、なんか話のわかるソーシャルワーカーがいて、サポートしてくれたから、子ども食堂に来ていた人が結果的に自立したっていう話なわけ。だからそれがアウトカムであり、インパクトになっていく。そこに対する謙虚さが大事。
それがあまりに線形的にアウトプット、アウトカム、インパクトというものの、こういうふうにコンバージョン率があります。みたいにやっちゃうと、だんだん社会の複雑さみたいなものを見失ってしまうことが多い。
だから、もちろんロジックツリーも大事だけど、ロジックももっとシステミックというかもっといろんなものが絡み合って、アウトカムがあって、さらにいろんなものが絡んでいってインパクトになるって話なんだけど、でも確かに最初にきっかけを起こさないといけないし、そのアウトプットがあり、逆にアウトカムとかインパクトを見据えた活動をしているから単純なアウトプットだけじゃなくってアウトカムに対する影響も与えやすくなるってことができるわけ。
だからそこの、ロジックツリーの課題を線形的に物事を捉えがちになるんだけど、あれはいったりきたりするわけ。アウトカムに対してプログラムができたりとか、プログラムのためのインプットもいるじゃん。
で最初の一瞬をうまくいく。たまたまアウトカムっぽいものが出た結果、寄付者が集まってきて、その結果活動ができて、アウトプット、アウトカムが循環したってことはある。
だから本当はロジックツリーは線形的じゃない。それをつい頭の整理のために『ロジックツリーってこうなれば、こうなって、こうなります』みたいな公式化しようとするとよくないです。
もっとダイナミックな動的なもの。そういった意味でストーリーを共有したりとかコミュニケーションしながら生み出していくのがソーシャルインパクトなわけさ。
そこにいくときの、ツボみたいなのがあって、そのツボみたいなものを押されれば物事は動きやすくなるってことはあるけども。 例えば子ども食堂をやってるだけじゃアウトカムが起きないから、子ども食堂にソーシャルワーカーを招くとか、地域の民生委員を招くとか、様子をみてもらって、そこでコミュニケーションをしてもらうとか、ちゃんと声をかけるとか、ちゃんとソーシャルワーカーに繋ぐとか、そういう点でも技量的なものがいるわけ。
それはアウトカムを見据えてるから、逆にそこの活動が良くなります。ただそういった意味で、アウトプット、アウトカム、インパクトっていうかたちのストーリーが見えてるから、自分の活動とかインプットの質が良くなっていく。 そのためそういうふうに使うためであって、下手したらきちんとした評価を目指すためとなると、それは評価が好きな人の評価学会の人が好きなんだけど評価のための評価になったらあまり意味がないんだよね。
一番大事なのは何かあった社会問題を解決することじゃんってことよ、だからいくら立派な評価ができて寄付が集まっても、社会問題解決できなかったら意味ないよねってことじゃん。
社会の問題を解決していくだとか、人がそこに参画するだとか。でも一方でそれは何かそういうの多くの人は、自分が関わったから変化が起きたんじゃないかという、ある種の協働幻想みたいなのを持てることがNPOに関わる楽しさでもあるから。 別に僕が寄付したからといってインドの貧困がなくなるわけじゃないんだろうけど、ここで2万円払ったことによってなんか、貧困の人に役立つんじゃないかっていうなんかどっかの謎なストーリーみたなものも信じてるからお金を出すわけ。だからそういったものを皆が持ちやすくしてあげるということが多分一番大事なんだと思う。
それでもちろん成果が出ないとやっぱり駄目なんだけど、成果が出てみれば数字的成果が出れば寄付したいわけでもないじゃん。やっぱりだからやっぱり大事なのはコミュニケーション。 だから振り込め詐欺ってあんだけお金ゲットできるわけじゃん。何百億円。なんでNPOができないの? 詐欺にあう人はみんな何かに役立ちたいんだよ。孫とか娘とかが困ってる。 本当なのかわからないけど、振り込め詐欺だったと信じたくないってニュースで見るけど、全然相手にされなかった孫のために何かをやってあげれたと思ってた方が幸せだったりするわけ。
だからもっとそういう機会をまさに中間支援とかNPOの人たちがもっと、自分たちが何かに役に立った、何かに関わった、自分がお金を出したことによってすごく幸せになった、自分が貯めたお金を出してよかったなと思えたみたいな、なんかそういう気持ちを振り込め詐欺が正しいわけじゃないけど、詐欺師は一生懸命考える。 なんかエモーションインテリジェンスがすごくあるのよ。どういうふうにすれば信じるかなと、結婚詐欺もそうじゃん。『すごく素敵です』とかいうから、そうなるわけで。それは詐欺をしろってことじゃなくて。 でも逆に詐欺師ですら考えてるんだったら、逆にNPOとか中間支援はもっと高度なレベルで深く考えている必要がある。共感を得るとか参加を促すっていうことでしたいんだったら、そこをやっぱり規範性でそれをダークな方に行かないで良い方に使ってほしいです。今もまさにそういうことが中間支援に大事なこと。」
横山「みんな同じ気持ちだと思うがソーシャルインパクトの研究会しようとなって、最初のうちに広石さんのところに来てよかったなと思います。ありがとうございました!」
まちづくりについて、いろんな人にその手法を聞いたり、自分なりにもずっと考えていました。でも、その答えのほとんどは実践では使えなかったり、とても複雑でわかりにくい現場からは遠い人がいう机上の空論でした。
一方、広石さんの答えはいつもシンプルでかつ的確で、まるで私のまちに住んでるのではないかと思ってしまいます。
数年おきに広石さんに会う機会をもらっていますが、いつも私がなんとかひねり出したまちづくりの長ーい答えをスマートに抜粋してくれて「答えはこれだけで十分。他は必要ないよ」と教えてくれてるように思います。